「瑞風」の美を訪ねて

DISCOVER THE BEAUTY OF MIZUKAZE

四季折々の美しい風景、 沿線の歴史・文化を象徴する
工芸や文化財、地元の恵みを生かした美食...。
西日本を巡り、人との出会いを通じて、
「瑞風」の旅を輝かせる “美” を発見します。

今に生きる美と志〜大原美術館理事長が語る〜

ISSUE 03

京都

京都

京都の文化にふれる Vol.2
~京都の文化にゆかりのある方が語る~

“美しい日本をホテルが走る”をコンセプトに運行を開始した
TWILIGHT EXPRESS 瑞風。
「瑞風」の発着地である京都、
その京都の文化にゆかりのある方々が感じる
文化都市京都の魅力、「瑞風」に寄せる思いをご紹介します。

320年以上続く老舗の担い手として
聖護院八ッ橋総本店 専務取締役 鈴鹿 可奈子 さん

 江戸時代初期、八橋検校という箏の名手、名作曲家がおられました。没後、金戒光明寺に葬られたため、ゆかりのお菓子をと考案されたのが、箏の形を模した焼菓子、八ッ橋です。元禄2年(1689)、金戒光明寺の参道にあった、現在の本店で販売を始めました。
 八ッ橋というと、近年は餡入り生八ッ橋「聖」を連想いただくことが多いのですが、こちらを作るようになったのは比較的最近で、昭和35年(1960)から。地元だけで知られていた生八ッ橋に「餡を入れてお茶会に出してみては」と、表千家のお家元が私の祖父にご提案くださり、「神酒餅」という銘も授けていただきました。形を三角に変えて商品化したのはその7年後です。
 社長を務める父は毎日八ッ橋を食べています。私ももちろん同じです。自分たちの舌で実際に確かめているその美味しさを軸に、私たちは商いを続けてきました。モノの価値観は時代によって変わりますし、美味しさの意味合いも同じではありません。けれどもその中にあって、「いつでも美味しい八ッ橋」をつくるのが私どもの使命です。ただ、プレッシャーはそんなに感じてはいません。長年働いてくれている従業員、ご愛顧いただいている方々、多くの支えを得ています。それこそが大切な財産です。

聖護院八ッ橋総本店 専務取締役 鈴鹿 可奈子
護院八ッ橋総本店

新ブランドを立ち上げた理由

 2011年に新ブランド「nikiniki」を立ち上げました。そのベースには、私が大好きな八ッ橋を「もっと食べてほしい!」という思いがあります。実は大学生のころ、京都の方が八ッ橋を日常的なお菓子として口にされていないと気づいたのです。ただ実際に私が持参すると皆「美味しい」とその後食べるようになってくれる。多くの人たちが「八ッ橋=おみやげ」の感覚でとらえていることを知り、違う形で提案できれば状況が変わるのではと考えていました。
 味や食感はそのままに、色を付けて雰囲気を変えた生八ッ橋に、餡ではなくコンフィやジュレを合わせる「カレ・ド・カネール」や、そうした生八ッ橋と餡で季節や歳時のモチーフをかたどった「季節の生菓子」、その他従来の八ッ橋を使った新しい形のお菓子など、販売しています。「インスタ映え」することもあり、おかげさまで好評をいただいています。これからも変えるところ、変えてはいけないところを違えぬよう、父と共に歩んでいきたいと思っています。

特別だったあの時間は、
今も大切な思い出

 実は、京都~札幌間を運行していた「トワイライトエクスプレス」に乗車したことがあるのです。小学校5~6年の時だったと思います。「どうして三十何時間も列車に乗るの?飛行機じゃないの?」という思いを、豪華で楽しい列車が吹き飛ばしてくれました。ホームから写真を撮られる方、手を振ってくださる方もおられ、子供心にも特別な列車だと感じたことを覚えています。
 先日、京都駅で「瑞風」のお見送りをさせていただきましたが。かつての私と同じように、きっと特別な思い出が作れることだろうと思いながら、感動を新たにいたしました。
 紅葉はもちろん、青楓の名所でもある東福寺さんのように、絶景が見られる観光名所が京都には数多くあります。その一方、路地の奥だったり、鴨川だったり、普段の光景もステキな街です。6月には水無月、11月には亥の子餅…。折節の行事に合わせたお菓子をいただく習慣が、暮らしに根付いているのも京都の良さ。日常と非日常、どちらも魅力的な京都を、「瑞風」にご乗車される方たちに知っていただければこれ以上の喜びはありません。

鈴鹿 可奈子
Kanako SUZUKA

聖護院八ッ橋総本店
専務取締役

聖護院八ッ橋総本店 専務取締役 鈴鹿 可奈子

プロフィール

聖護院八ッ橋総本店 専務取締役 鈴鹿 可奈子京都生まれ。京都大学在学中、米国留学。卒業後、信用調査会社勤務を経て家業である聖護院八ッ橋総本店に入社。2011年、新しい八ッ橋の食べ方を提案する新ブランド「nikiniki」を立ち上げる。2015年には京都市で開催される世界博物館大会ICOM(2019年開催)の誘致スピーチを国連本部にて担うなど、社業に留まらず幅広い活動を行っている。2015年「京の冬の旅」ポスターモデル。

新しいものと古いものに囲まれて
華道「未生流笹岡」 家元 笹岡 隆甫 さん

 いけばなは時代とともに姿を変えてきました。室町時代の「たて花」は、「しん」と「下草」の2要素で構成されたシンプルな型でした。それが室町の後半から江戸時代前半にかけて、下草が役割分化。「立花(りっか)」と呼ばれる非常に豪華な花が生まれました。
 比較的最近の例では、大正デモクラシーの流れを背景に、昭和に提唱された「自由花」があります。それまで、いけばなは自然の風景の縮図、ミニチュアという考え方が基本にありました。例えば、古典の花では、枝と枝が交差した姿は「見切り」と呼ばれて禁じられていたのですが、それもデザインとしておもしろければよしとする考え方がその時代には一般的になり、自由な花が誕生しました。
 興味深いのは、古いものを残しながら、そこに新しいものを積み上げる点です。新しいものに挑戦もするけれども、江戸時代のものも受け継ぐ、そんな懐の深さがいけばなにはあります。

華道「未生流笹岡」家元

未生流笹岡

華道「未生流笹岡」家元

華道「未生流笹岡」家元

未生流笹岡

華道「未生流笹岡」家元

異分野、異世代の交流から
文化が生まれる

 私が行っているいけばなパフォーマンスの一番の魅力は、能、歌舞伎、日本舞踊、オペラといった、異分野の担い手と同じ舞台に上がることができること。直接ぶつかり合うことで、大きな刺激が得られる点です。そこから新たな発見も生まれています。
 京都は三方を山に囲まれているため、これ以上広がることができません。そんな狭いところに、さまざまな文化の後継者がひしめき合うように住んでいます。「今度、日舞の公演をするから花を生けてよ。音楽は誰に頼もうかな?」という話がすぐ持ち上がります。それは、京都では今も昔もごく当たり前の光景。文化とは人と人の個性がぶつかり合う時に生まれるもの。京都が文化の首都なのは、こうしたぶつかり合いが日常的に起こっているからかもしれません。
 幼い頃より祖父の稽古場に出入りしていたため、流派の先生方にはいろんな話を聞かせていただきました。シベリア抑留中、同朋がパンを奪い合う過酷な現実の中で、ただ黙々と花をいけていた友の姿に感銘を受け、帰国後いけばなの道を志した先生。役目を終えた花材を処分する時は、半紙に包んで酒で供養し涙を流す先生。
 そこから私は花との向き合い方を教わりました。両親には反抗したくなるけれども、祖父母やその世代の先達の話は、なぜか素直に聞けた経験はどなたもお持ちだと思います。京都は3世代が同居する家のような街。さまざまな立場、幅広い世代の話がうかがえます。その体験は視野を広げ、人としての厚みを増すことでしょう。

山の上から見る京都は
ひと味ちがう

 建築を学んでいた大学時代、近代化遺産の調査を担当。鉄道沿いの跨線橋や変電所を調べて回ったことがあります。我が家の4歳になる長男も鉄道ファン。鉄道には、老若男女を惹きつける不思議な魅力があります。鉄道の持つ懐かしさも随所に感じられる「瑞風」が、次世代の文化遺産になることを願っています。
 自宅から近いこともありますが、子供のころ、月に一度は大文字と呼ばれる東山の如意ヶ嶽に登っていました。一番の楽しみは、おやつに食べる缶入りのドロップ。見慣れた景色も山頂でお弁当を食べながら眺めると新鮮だったことを思い出します。
 今でも、目の前の花に集中しすぎるあまり、かえって花の美しさが見えなくなることがあります。そんな時は昔のように、近くにある小高い山に登り、頭を休めます。緑に囲まれて過ごすひとときは、思考をクリアにしてくれますし、自身を客観的に見られる気がします。吉田山をはじめ、スニーカーで登れる山が京都にはいくつもあります。乗客の方たちにも気軽に出かけてみられることをおすすめします。

笹岡 隆甫
Ryuho SASAOKA

華道「未生流笹岡」
家元

華道「未生流笹岡 笹岡 隆甫

プロフィール

華道「未生流笹岡 笹岡 隆甫1974年京都生まれ。京都大学工学部建築学科卒業。3歳より祖父である二代家元笹岡勲甫の指導を受け、2011年、三代家元を継承。舞台芸術としてのいけばなの可能性を追求し、日本-スイス 国交樹立150周年記念式典をはじめ、海外での公式行事でも、いけばなパフォーマンスを披露。2016年には、G7伊勢志摩サミットの会場装花を担当。近著に『いけばな』(新潮新書)。2010年「京の冬の旅」ポスターモデル。

もてなしの心はさまざまに
料理家 大原 千鶴 さん

 私が生まれた花背は、京都市内でありながら、川魚が棲む清流とシカやイノシシが駆け巡る里山に囲まれた、いわゆる京の奥座敷。私も野山を走り回って育ちました。現在は料理家として仕事をしていますが、私が作るのは毎日食べたい家庭の味。味わい深い郷土料理も大好きです。そんな立場から、「瑞風」山陰エリアの立ち寄り観光地である食の杜「室山農園」のしつらえなどについて、監修させていただきました。

料理家 大原 千鶴
料理家 大原 千鶴

食料自給率が高い雲南市

 「室山農園」のある雲南市は、スサノオノミコトによるヤマタノオロチ伝説が残る地としても知られる、文化と自然が豊かな山間部です。国内で唯一現存する「たたら製鉄の遺構」や神話ゆかりの地で「出雲神楽」を鑑賞していただく行程の中で、昼食をとっていただく「室山農園」は、風情ある茅葺きの建物。ダム建設でなくなるはずだった農家を移築したもので、屋根の吹き替えや壁の塗り替えなどが行われ、完成当時の姿を取り戻しました。
 出迎えてくださるのは地元のお母さんたち。明るくて楽しい、笑顔がチャーミングな方たちが、手作りの料理でもてなします。養鶏・酪農・農業が盛んな雲南市。米や野菜、卵はほぼすべて地元産です。「木次乳業」という、おいしい乳製品を作る会社があるため、チーズなども日常的に使います。海の物としては焼き鯖をお出ししますが、その理由は、日本海で獲れた脂ののった鯖をこの地域までは生のまま運び、ここからは焼き鯖にして更に山奥に運んだという往年の生活文化があるからなのです。豊富に採れる山菜や椎茸で作る煮〆など、少し懐かしいような雲南らしいストーリーのある料理を島根産の器に盛り付けました。
 手間をかけて仕上げた料理を引き立てる盛り付け方、親戚を我が家に迎えるようなおもてなしの心得などを、和気あいあいとした雰囲気の中でアドバイスさせていただきました。

 島根県は「土と炎の詩人」と呼ばれる陶芸家・河井寛次郎を生んだ土地柄でもあります。その影響を受け、地元で活躍されている作家さん達の器を紹介するほか、落ち着いて食事していただけるよう、しつらえの提案もさせていただきました。

いろんな魅力にふれる旅を

 各分野の第一人者が関わっておられる「瑞風」が素晴らしいのは言うまでもありませんが、料理旅館に生まれ育った私でも驚かされる点がいくつもありました。たとえば、乗車させていただいた時、強い雨が降ったのですが、立ち寄り観光を終えて帰ってくると、汚れていたはずの車体がきれいに拭き上げられていました。広々とした室内でも大変なベッドメイキングや清掃が、限られた空間である個室内で手早くビシッと整えられる様子にも目を瞠りました。名前を覚えてくださる、不意のアクシデントでも笑顔で対応くださる、そんなマニュアル的ではないハイグレードなおもてなしも「瑞風」の一部。それぞれのプロが一丸となり、乗客の方たちが快適に過ごせるよう、気を配られている姿に心を打たれました。
 私が住む京都もホスピタリティに満ちた街です。古都らしさを守りつつ、新しいものも迎え入れる柔軟な気質も持っています。「エエものはエエ、アカン時はアカン」と言ってくれる人がいる街でもあります。奥が深くて間口も広い、京都の文化を肌で感じていただければ嬉しく思います。そしてぜひ機会を作って、昔ながらのおうどんをお召し上がりください。いい水に恵まれているからこそ引けるだしの美味しさも、京都の魅力のひとつです。

大原 千鶴
Chizuru OHHARA

料理家

料理家 大原 千鶴

プロフィール

料理家 大原 千鶴京都の奥座敷・花背の料理旅館「美山荘」の次女として生まれ育つ。小学生の頃から家業を手伝い、料理の五感を磨く。現在は3人の子どもを育てながら、雑誌、テレビ等でつくりやすい家庭料理を提案。NHK「きょうの料理」「あてなよる」レギュラー出演。ドラマの料理監修など幅広く活動。「お斎(とき)レシピ みんなでおいしい精進料理(2017年4月出版)」など著書多数。2016年「京の冬の旅」ポスターモデル。

ご紹介した「鈴鹿 可奈子さん」「笹岡 隆甫さん」「大原 千鶴さん」は
「瑞風」の旅の始まりにチェックインと出発前のおもてなしを提供する
「瑞風ラウンジ京都」でご高話をいただいております。