第22回目は、「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」の“食”をテーマにお伝えします。山陽コース(上り)1日目の昼食を監修されている「あなごめし うえの」の4代目主人 上野純一さんにお話を伺いました。
地元料理のあなご丼をアレンジした駅弁当「あなごめし」。
日本三景の一つ、安芸の宮島へと渡る船着き場の近くに宮嶋駅(現在の宮島口駅)が開業したのは、明治30年(1897年)のこと。その4年後に、駅弁当として販売され始めたのが「あなごめし」です。古くから地元料理として親しまれてきたあなご丼の白飯を、あなごのアラで炊き込んだ醤油味のご飯に変えたもの。「あなごめし うえの」を立ち上げた上野他人吉(たにきち)さんが考案し、今ではさまざまなお店で提供される、広島の名物となりました。
120年近く愛され続けてきた、伝統の味。
焼きたてのあなごと炊きたての味飯を経木(きょうぎ)の折箱に詰めた、「あなごめし うえの」のあなごめし弁当。時間の経過とともにあなごの旨みを味飯が吸いとっていくためか、冷めるにつれ味がはっきりとおいしくなるのが特長です。
蒲焼きの善し悪しは、あなごの質によるところがとても大きいもの。あなごにはシーズンがあるので、いかに良質なあなごを確保し、最もいい状態で提供するかが重要になってきます。120年近く続く伝統の味を守っているが、4代目の上野純一さんです。
「煮あなごのように煮含めの工程があれば、味がつくりやすいんですが、蒲焼きとなるとそうもいきません。だけど香ばしさや食感など、長年愛され続けてきた蒲焼き独特の味わいを失うわけにはいきません。現在は、『おいしい』と感じるあなごの状態をデータ化し、機械で脂の乗り具合などをチェックしながら、良いものだけを厳選しています」(上野さん/以下同)
土釜で炊いたあなごめしを「瑞風」でも提供したい。
もちろん出来たての状態がおいしいのも当然のこと。宮島口駅前にある「あなごめし うえの」本店の1階では、持ち帰り用のお弁当だけでなく、漆椀に盛ったほかほかのあなごめしも提供しています。2階は、あなごめしの定食セットやコース料理などを振る舞うレストラン「他人吉」。初代の名前がつけられています。
下関を出発する「瑞風」の山陽コース(上り)で最初の食事となるのが、上野さん監修の郷土料理です。上野さんが「瑞風」に関する相談を受けた当初は、1階で提供しているあなごめしを用意する流れでしたが、打ち合わせを2階で行ったことから一転したと振り返ります。
「関係者の皆さんが試食にいらっしゃったとき、せっかくならと『土釜で炊いたあなごめし』がつくコース料理をお出ししたんですよ。通常のあなごめしの魅力に加え、釜炊きで味わい深いおこげもできるし、香りたつインパクトもある。とても喜んでいただけて、『瑞風』でもこれを出したい!という話になったんですよね。厨房施設があるなら不可能じゃないだろうと、私も二つ返事をしてしまったんですが…そこからが大変でした(苦笑)」
ほどなく車内でガス火が使えないことを知り、途方に暮れたと笑う上野さん。その後、蒸気や熱風で煮炊きできるスチームコンベクションオーブンが入ると聞いたため、そこに土釜を並べれば炊けるだろうと考えます。しかし車内の構造上、導入されることになったのは小型のもの。すぐさま同じ機種を購入し、試行錯誤を始めました。
「きっちり並べられれば一度に20人前ぐらい炊けるだろうと、四角い土釜を特注して試してみたものの、火力が安定せずうまく炊けなかったんですよね。もう無理だと一時は泣きついたんですが(笑)、電気調理器化するためのシートを見つけて土釜に貼ってみたところ、家庭用の電磁調理器でも完璧に炊けたんですよ。おかげで、おこげの風味や香りもお届けできることになりました」
旅の幕開けを飾る食事が、素晴らしいものであるように。
一方で、こだわったのが土釜の頑丈さです。「絶対に割れない」ことを条件に、あらゆる手を尽くして最適な品を探したといいます。
「絶対に割れない土釜なんてあり得ない、と各所で言われましたが、それじゃ困ると。せっかくの旅なのに、最初の食事でトラブルが起こるなんて、一番だめでしょう? 土釜は、肉厚で風合いも良く、余熱の加減でお好みに合わせたおこげもつくれる。割れる心配がないからといって、鉄や銅、アルミに変えるわけにはいきません。苦労の末、特別な配合の土を使った割れない土釜が見つかり、問題なく使えています」
ブラッシュアップの結果、「瑞風」で提供することになったのは、あなごめしだけではなく、「他人吉」のコース料理をアレンジしたもの。2017年6月の運行開始を前に、キッチンクルーたちが何度も来店し、準備を重ねたといいます。
「彼らの吸収力は素晴らしかったです。短い間で、驚くべき進化を遂げられました。車内でも食べて確認しましたが、限られた環境でよく再現してくれています。土釜のふたを開けた瞬間の喜びは格別です。妥協せずに追求して正解でした」
あなご尽くしの感動、広島ならではの感動を。
「上質なあなごのなかでも、料理長が最上級のものを選抜して『瑞風』用の仕込みをしていますからね。『瑞風』の料理には、いま日本でその季節に獲れている最もいいあなごが使われているのは間違いありません」
「瑞風」で提供する昼食は、合計4品。さまざまな調理法のあなごが味わえると同時に、デザートにも広島レモンのシャーベットや広島地酒の酒粕アイスを取り入れるなど、広島ならではのメニューとなっています。
季節の野菜と合わせた酢の物として出されるのは、白焼きと西京焼きのあなご。個性の違う焼きあなごが一度に楽しめます。西京焼きが堅くなりすぎず、ほどよい噛みごたえなのは、新鮮で脂の乗ったあなごだからこそ。
熱い料理を組み合わせたオリジナルの人気メニュー「熱々」も、「瑞風」ではあなごバージョンに。あなごや季節の野菜を、あさりのスープで煮た逸品です。あさりも地域の名物で、その磯煮を昔はあなごめしと並行して駅で売っていたのだとか。
「あなご尽くしで感動した」というお声も多く聞かれる「瑞風」のメニュー。あなごの風味の良さへの評価も高いことに、上野さんは目を細めます。
「環境に恵まれ、多様性に富んだ餌を好きなだけ食べて育った天然のあなごは、噛めば噛むほど滋味あふれる、落語のような味わいです。インパクトの強い漫才とは違いますが(笑)、あなごのもつさまざまな魅力を堪能していただければ幸いです」
文化を維持し、後世に伝える大切さは、“食”にも通じる。
山陽コース(上り)では、昼食のあと宮島口駅に14時頃到着し、フェリーで宮島へと渡って世界遺産・嚴島神社を参拝します。推古天皇元年(593年)の創建とされ、時の権力者たちの信仰を受けて守られてきた嚴島神社。平安時代の寝殿造り様式の社殿が海上に構成され、自然と一体になった景観は、唯一無二の神聖な美しさです。
広島県内の名宿「石亭」の2代目でもあり、歴史にも造詣が深い上野さん。今に至る嚴島神社にとりわけ大きな影響を与えたのは、社殿群を現在の形に造営した平清盛、千畳閣の建立を命じた豊臣秀吉、大規模な公共事業で宮島の基盤を整えた伊藤博文の3人だと語ります。
「3人にまつわる話を掘り下げれば、歴史的なつながりも浮かび上がってきます。背景を知っているのと知らないのとでは、見え方も随分違ってくるもの。『瑞風』でいらっしゃるお客様にも、ぜひ興味をもっていただきたいですね」
歴史を知って文化を維持し、後世に伝える大切さは、食文化に関しても言えること。蒲焼きにしてもおいしい、脂の載った良質なあなごを安定的に確保するには大変な労を要しますが、「あなごは只々焼いて食べる」という食文化を伝えるのが自分たちの責務だと上野さんは語ります。
「郷土料理を文化として維持するには、地元の人間が、自分たちの舌で覚えている美味を伝えていかなければなりません。そのためにも、あなごの品質が重要なのです。『瑞風』に関わり始めたことで、ますます気を引き締めてブランディングしていかなければ、という思いに拍車がかかりました。味や香りに加え、そのときに聞いた言葉や見た景色など、すべてが合わさることで心の芯に残り、生涯忘れられない思い出の料理になっていくもの。『瑞風』でのお食事がそうなるよう、これからも連携を強め、力を尽くしていきたいです」