第24回目は、「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」の山陽コース(下り)で1日目に立ち寄る倉敷駅での「おもてなし」についてリポート。「倉敷素隠居(すいんきょ)保存会」事務局長の小田晃弘さんのお話とともにご紹介します。
素隠居のうちわで頭を叩かれるとご利益がある。
京都駅・大阪駅から西へと向かう山陽コース(下り)の「瑞風」が倉敷駅にやって来るのは、午後2時頃のこと。到着を前に、駅員や駅構内の清掃を行うJR西日本メンテックのスタッフがホームに集まってきます。そのなかには、老人を模したユーモラスなお面をつけた4人組が。紺地の小袖をたすき掛けにし、赤い渋うちわを手にしています。
「瑞風」のお客様が降りてこられると、皆が手旗を振るなか、お面の彼らは片手でうちわをバシンッと鳴らしながら歓迎。そしてお一人おひとりの頭を、うちわでポンポンと優しく叩いていきます。すると叩かれた皆さんが、なんだか笑顔に。このお面の一団が、岡山県倉敷市ならではの「素隠居(すいんきょ)」です。うちわで頭を叩かれると、健康になったり賢くなったりといったご利益があるとされています。
お客様全員が降りられると、倉敷駅長がご挨拶。「先ほども車内でお話があったように、素隠居に頭を叩かれると、元気に、頭が良くなると言われています。まだ叩かれていない方はいらっしゃいますか。皆さん健康になれると思いますので、ぜひどうぞ」。その言葉に、皆さんから再び笑みがこぼれます。
その後、一行は専用ゲートを通って駅の外へ。「『TWILIGHT EXPRESS 瑞風』でご到着の皆様、ようこそ倉敷へお越しくださいました。お客様にご利益をお届けするため、素隠居が駅まで来ています…」。駅構内では、こんなアナウンスも流れています。「瑞風バス」の乗り場へ向かう途中でも、すれ違う人たちの頭にうちわで触れる素隠居たち。なかには自ら叩かれようと、頭を差し出してくる人もいらっしゃいました。
「瑞風バス」の前に着くと、素隠居との記念撮影タイムへ。「これって倉敷だけなんでしょう?」「叩いてもらえるのを楽しみにしていたんですよ」…そんな会話を交わしながら交流を深めます。全員がご乗車されると、大きく手を振ってお見送り。お客様の笑顔を車窓から覗かせたバスは、倉敷美観地区へと向かっていきました。
元禄年間から伝わる、倉敷独特のユニークな風習。
素隠居とは、倉敷美観地区にある阿智神社の例大祭に現れる、「じじ」と「ばば」のお面をつけた人たちのこと。由来は諸説ありますが、元禄5(1692)年、妙見宮(現在の阿智神社にあたる)の御神幸で獅子舞の先導役となった戎町のご隠居が、御神幸について歩けなくなったため、夫婦のお面をつけた自店の若者たちに代わりをさせた、という説が有力です。明治に入ると神仏分離政策によりお祭りの形態が変わったことで、この「じじ」「ばば」に扮する若者が町内に増えていき、うちわで子どもの頭を叩く風習が普及しました。誰とはなしに生まれた「素隠居」という呼び名には、「素の隠居」や「素晴らしい隠居」、「素朴な隠居」といった意味が込められていると伝わります。
阿智神社を氏神とする町内には、それぞれに個性豊かな素隠居のお面がいくつもありました。いずれもどこか不気味で、子どもたちは素隠居に近づかれると怯えて泣いたり、逃げ回ったりしたそうですが、恩恵にあずかりたい親たちは、幼い子どもの頭を素隠居に差し出すのが常でした。「倉敷素隠居保存会」の小田さんは語ります。
「もちろん痛くはないですが、当時は何人もの素隠居が至るところから脅かしてくるもんだから、子どもたちも『すいんきょ、らっきょう、くそらっきょう!』なんてはやし立て(笑)、みんなで逃げ回っていました。それをまた素隠居が追いかけて叩くのがお祭りの風情だったんですよ。昭和40年代、僕が10歳頃まではそんな風だったんですが、徐々に廃れてきていて…。昭和51(1976)年には倉敷市の文化人が中心となって『倉敷素隠居保存会』を発足したものの、6年後には休眠状態になり、素隠居の風習自体が伝承されなくなってしまったんです」
伝統ある素隠居を消滅させるわけにはいかない。
「倉敷素隠居保存会」が再興したのは、平成3(1991)年のこと。倉敷観光協会がテレビ局から素隠居の取材依頼を受け、前任の保存会事務局長、藤井淳平さんが対応にあたったことに端を発します。阿智神社からの教えで旧えびす町町内会に協力してもらい、なんとか応じられたものの、実際、素隠居は存亡の危機。このまま消滅させるわけにはいかないと、藤井さんが中学時代の同級生に声をかけ、前身となる「素隠居を増やす会」を立ち上げたといいます。
「阿智神社の氏子町内会に残っていたお面や衣装も、虫食いなどでボロボロになっていて使いものにならない。多彩だったお面の型も、ほぼ失われていました。お面は和紙を重ねる張り子細工で、つくるのに半年もかかる高価なものですし、衣装も染め物で値段が張る。まずは資金を集め、道具をそろえることから活動を進めていったと聞きます」
倉敷張り子の職人さんに依頼してお面をつくり直すなどして、徐々に素隠居の活動を拡大。さまざまなメディアでも紹介されるようになり、阿智神社で行われる春季と秋季の例大祭や倉敷天領夏まつりに加え、各地でのイベントや観光PRにも保存会が協力するようになっていきました。
「僕自身は、大学卒業後に戻ってきて結婚し、子どもとお祭りに行ったとき、素隠居が復活したことを知って感激したんですよ。幼少期はいつか自分も叩く側に回りたいと思っていましたから、すぐに入会。平成14年の『山陽新幹線岡山開業30周年記念イベント』など、JR西日本の行事にも参加しています。活動を通じて、ありがたいことに『倉敷ならではのもの=素隠居』という印象も広がり、『瑞風』の『おもてなし』の話にもつながりました。協力できると決まったときは、なんて光栄なことだと保存会のみんなで喜びましたよ」
スキンシップに近い交流なので、距離が縮まりやすい。
2017年6月、「瑞風」の運行開始にあわせて「おもてなし」を始めるにあたり、「倉敷素隠居保存会」からリクエストしたことがありました。
「まずは事前に車内でアナウンスをしてもらえるようにお願いしました。いくら軽く触れるだけとはいえ、いきなりうちわで叩かれたら何事かと思いますからね。せっかくなら、駅にいらっしゃるほかのお客様にも幸せをおすそ分けしたい。そのため、駅構内でもアナウンスを流してもらえるよう依頼したんです」
保存会員は現在、約100の個人と団体。そのうち25人ほどがお面をかぶる活動もしています。有志によるボランティア団体なので、「瑞風」のスケジュールに毎回対応できるかどうか不安があったものの、現在は核となる2人を軸に、交代しながら4人で欠かさず参加。すでに2年半以上も続けてきた結果、お客様にも認知されてきているのを感じるといいます。
「事前に私たちのホームページやSNSを見てから来てくださっている方もいて、とてもうれしいです。なかには『昔はもっと強かったんでしょ?』『もっとしっかり叩いて!』なんて言ってくださる方も。『瑞風』のふれあいは本当にアットホーム。スキンシップに近い交流なので、距離が縮まりやすいのかもしれません。素隠居との関わりを通じて、皆さんに倉敷らしさを感じていただければ幸いです」
倉敷を代表して取り組んでいる、という気持ちも大切に。
「実は個人的にも『瑞風』には思い入れがある」と小田さん。鉄道の旅がお好きで、2015年、約26年間の歴史に幕を閉じた「トワイライトエクスプレス」に、「最後の最後で、鉄道ファンの息子と一緒に乗ることができた」と語ります。
「大阪から札幌までの道中、ものすごく贅沢な時間の使い方をしていることに感動し、あの感覚をもう一回味わいたいと思っていたんですよ。それで『トワイライトエクスプレス』の後継である『瑞風』にも乗りたいと、何度も抽選に申し込んでいるんですが、行ける日程が限られていたこともあり、まだ当選したことがなくて(苦笑)。…土地土地ならではの『おもてなし』まである『瑞風』の旅は、『トワイライトエクスプレス』よりさらに特別感があるはず。素隠居としてその一助になれていることが、とてもうれしいんですよ」
現在、保存会では、お面づくりのプロジェクトにも尽力中。お祭りなどでは、叩かれるとご利益があるという旨を書いたリーフレットや千社札ステッカーを配るなど、さらなる周知にも努めています。素隠居の活動を、認知してもらうことはとても大切。「瑞風」の「おもてなし」を倉敷駅で続けてきたことにより、これまで関わる機会のなかった層にも、素隠居の文化が伝わっているのを感じるといいます。
「おかげさまで『倉敷といえば素隠居』と言ってもらえる場面も増えてきました。とはいえ、観光で来られた人はもちろん、ほかの地方から移住された人や素隠居がいない時代に育った人など、倉敷にお住まいでまだご存知ない方も少なくありません。素隠居が『瑞風』をお迎えしていることも、もっともっと知ってほしい。倉敷を代表して取り組んでいる、という気持ちを大切に、これからも幸せを振りまいていきたいです」