四季折々の美しい風景、 沿線の歴史・文化を象徴する
工芸や文化財、地元の恵みを生かした美食...。
西日本を巡り、人との出会いを通じて、
「瑞風」の旅を輝かせる “美” を発見します。
豊岡
日本最古という矜持
~技術を変え、鞄でつながる豊岡~
TWILIGHT EXPRESS 瑞風の立ち寄り観光地の一つ、
兵庫県の城崎温泉から車で20分ほどの距離にある豊岡市は、
二千年もの歴史を持つ鞄の名産地です。
実用的な機能と美しさを兼ね備えた鞄づくりは、
この街の人々のプライドでもあります。
豊岡鞄協会の会長も務める「エンドー鞄」社長の遠藤玄一郎さんが
製品をつくるうえでの姿勢や魅力を語ります。
始まりは神話の時代
日本最古の歴史書である「古事記」には、但馬を拓いた新羅の王子・天日槍命(アメノヒボコ)によって柳編みの技術が当地に伝えられたことが記されています。以来、但馬に暮らす人々はその技術を守り伝えました。研鑽を重ねた証拠として、奈良時代につくられた十数点の「柳筥(はこ)」は、今も正倉院に御物として保存されています。室町時代には柳行李の製作がスタート。江戸時代には時の豊岡藩主・京極伊勢守高盛のもと、藩の独占取扱品になり、地場産業として確立されていきました。
- 01-02大正14年に起きた北但馬地震で全壊した後、昭和初期に建てられた社屋。
日本最大の鞄産地、「鞄の街」として全国的に名をはせる豊岡にあって、常に第一線を走り続けている「エンドー鞄」の創業は文政7年(1824)。「初代安治郎は材料となる柳を調達して作り手に渡し、できあがった商品を販売する、いわゆる柳行李卸商でした」と8代目当主の遠藤玄一郎さんは話します。
本社前に建つバッグアトリエ「嘉玄」の2階にあるギャラリーには、今ではつくることができないような柳細工の名品、代々の当主が使用または収集した作品が展示されています。その一つを指し示す遠藤さん。「明治になると、柳製品を欧米の博覧会に出品するようになります。私の祖父である嘉吉郎は、柳行李の四隅を革で補強し、ベルトや持ち手をつけた旅行用の鞄を考案。第5回内国勧業博覧会に出品しました」。純和風の柳行李が洋風の鞄に変化し、時代に合わせた物づくりを志向した経緯がよくわかります。
- 03本社屋の向かい側に位置する「嘉玄」は2014年のオープン。
- 04「嘉玄」のウィンドウ
- 05店先には「瑞風」の旗が風にそよいでいる。
明治生まれの6代目当主・嘉吉郎氏はアイデアマンであると同時に行動の人でもありました。「近代以降は、柳の手編みではなく機械化すべきと断じたのかもしれません。ファイバーを使う柳行李の実用新案登録を行い、その後、仲間と協力してつくりあげたファイバー鞄の営業のために満州にも度々出かけていたと聞いています」。昭和11年(1936)に開かれたベルリンオリンピックでは、豊岡でつくられた製品が選手団の公式鞄に採用されます。この頃から、主力商品は強靭で耐久性の高いファイバー鞄になり、その知名度はさらに高まっていきました。「豊岡鞄のユニークなのはこの点です。一般的には技術を守って時代ごとに商品を変化させますが、私たちは柳編みの技術をファイバーシートに変え、鞄づくりを存続させてきました」。
- 06-071階がショップと工房。
- 08-132階がギャラリーになっている。
ギャラリーではエンドー鞄の歴史や名品の系譜が目の当たりにできる。
思いがけずも、8代目を継いで
7代目である父親のもとに長男として生まれながらも「エンドー鞄」を継ぐ気はなく、大学卒業後は商社に就職するつもりだった遠藤さんの運命を1本の電話が変えました。「母からだったのですが、『家業が大変だ。父が夜中に眠れずタバコばっかり吸っている』と…。それは一大事と帰郷しました。ところが、入社1日目に父から、『長男だからと社長になれるなんて思うなよ』と言われて。せっかく帰ってきたのに、何なんだと思いましたよ」と笑います。
入社後は、慣習的に続いていた経営方針を修正すべく、様々なアイデアを出すも、古参の社員からはことごとくダメ出しされたと言います。それにも負けず、営業から企画開発、業務改善に奮闘するうち、少しずつ風向きが変わります。「入社して6年ぐらい経った頃、父から、『専務になれ』と言われました」。
やがて、約10年間で200万個もの売り上げを達成したヒット商品を生み出すのですが、そのきっかけは、「自分のほしい鞄をつくろうと思ったこと」でした。20数年前、男性用のビジネスバッグは、外側と内側にファスナー付きのポケットがある程度。「鞄の中で荷物がゴロゴロするのが嫌だったので、外にも中にも収納スペースを作ったショルダーバックを考案したんです。手間がかかるからと嫌がる職人さんを何とか説得して試作品をつくったところ、注文が相次ぎました。その後、形やデザインの違うバッグを発売。その結果を見て、男性用のバッグは道具であり、機能性や使いやすさが求められるのだと、改めて強く思いました」。
遠藤社長の改革はその後も続きます。主に問屋と行ってきた商いを小売店中心にシフト。販売者や消費者の声をダイレクトに聞きながら商品開発を進めています。近年のヒット作は、特殊な構造のタイヤを装着した、走行音がほとんどしない世界一静かと言っていいくらい静かなキャリーバッグ。小売店や通販サイトで爆発的な人気を呼んでいます。「当社はスーツケース屋ではないのですが、メーカーの使命は必要とされるサービスや商品を提供すること。お客様の声に耳を傾けるのは当たり前のことです」。その言葉は穏やかながら、根底には凛とした強さが感じられました。
創業200周年に向けて
あと数年で「エンドー鞄」は200周年を迎えます。「老舗と呼んでいただきますが、私は伝統を守るという意識では仕事をしていません。変わる時代に合わせて変化し続けてきた結果として200年という時間があるだけ。そんなスタンスで仕事をしてきた私どもに、革新的な観光列車である『瑞風』のお客様用タグの依頼をいただけたことを誇りに思っています」と目を細めます。
かつて、東京で効率的に営業活動するため「サンライズ出雲」の母体になった寝台特急「出雲」によく乗ったと、遠藤社長は懐かしそうに話します。「その体験と比べるのもおかしな話ですが、『瑞風』は本当に特別な列車。走るホテルという空間に見合うタグをと、特にディテールにはこだわりました」。中でも難易度が高かったのは、「瑞風」のロゴマークを押す金型の製作。「羽根の部分が細かくて、下手をするとベタッとつぶれてしまう。そこは苦労しましたが、逆に当社にしかできない仕事だったのかもと思うと感慨深いですね」。
- 14-15黒の牛革で仕立てられる「瑞風」にご乗車されたお客様専用の旅行鞄タグ。
立ち寄り観光地である城崎温泉では、いたるところに「瑞風」の旗がディスプレイされています。ポスターもあちこちに貼られており、その歓迎ぶりがうかがえます。「乗車された方が、景色や設備だけではなく、乗客の望むサービスを提供したいと心を砕かれるクルーの方々の姿にも感動したとおっしゃっていました。それこそが価値。敬意を表する意味でも、嘉玄店頭に旗を飾らせてもらっています」。
遠藤さんが会長を務める豊岡鞄協会に属するメーカーと販売会社は約100社。JR豊岡駅から西に続く通称「カバンストリート」には、拠点施設「Toyooka KABAN Artisan Avenue」があり、鞄はもちろん、パーツの販売も行う一方、将来を見据えて専門学校も開かれています。「気概を持って鞄づくりに勤しんでいる豊岡の存在を、『瑞風』を通して知ってもらえれば、産地としてとても励みになります」。日本で一番古い鞄屋を率い、産地の顔としても活躍する遠藤社長のバッグにかける思いが誰よりも強く、深いことが伝わってきました。
「瑞風」の旅で
革細工の製作体験ができます
明治の文豪・志賀直哉が『城の崎にて』を記した宿として知られる老舗旅館「三木屋」にて、「瑞風」に乗車されたお客様のために考案した、オリジナル革細工の製作を体験していただけます。ペンケース、ベルトループキーホルダーのいずれかを選択。カラーも黒・チョコ・オレンジなどからセレクトしていただきます。エンドー鞄の熟練のスタッフによる指導の下、リベット(鋲)を使って、自分だけの革製品を仕上げます。イニシャル入りのタグをつけて、旅の思い出にお持ち帰りください。
- 16-18製作体験で使用するペンケースの原型を工房で用意。
- 19製作体験で作ることができるペンケース(写真上)。裏側にはロゴの刻印が施されている。
様々な使い方ができそうなベルトループ型のキーホルダー(写真下)も同じくロゴ入り。