「瑞風」の美を訪ねて

DISCOVER THE BEAUTY OF MIZUKAZE

四季折々の美しい風景、 沿線の歴史・文化を象徴する
工芸や文化財、地元の恵みを生かした美食...。
西日本を巡り、人との出会いを通じて、
「瑞風」の旅を輝かせる “美” を発見します。

質実の美を今に~松江に茶の文化を根付かせた不昧公~

ISSUE 12

松江

松江

質実の美を今に
~松江に茶の文化を根付かせた不昧公~

大名茶人として知られる松江藩7代藩主の松平不昧公(まつだいらふまいこう)。
その趣向が強く反映された茶室「明々庵(めいめいあん)」は流転の旅の後、
赤山の台地という安住の地を得て不昧公を想う人々によって手厚く守られています。
傾きかけた財政を立て直し、産業を振興させた一方茶の湯に心血を注いだ
不昧公とその好みについて「明々庵」支配人の森山俊男さんたちにうかがいます。

17歳で7代藩主になった
松平治郷

外様大名の堀尾家が江戸初期に築いた松江城は、天守が国宝指定されている五城のうちの一つ。その堀尾家の跡を継いだ京極家に続いて、寛永15年(1638)に信濃国松本より18万6000石で松平家が入国します。その初代・直政から数えること6代目の宗衍(むねのぶ)公は、度重なる天災や幕府から命じられた社寺改修の出費がかさみ、財政難に苦しんでいたと「明々庵」支配人の森山俊男さんは話します。「宗衍公も努力はされたのですが、あまりうまくいかなくて…。人心の一新を図るため、明和4年(1767)に17歳だった次男・治郷(はるさと)を藩主に据え、自分は後ろから支える形をとりました」。

一部の史料には、治郷公は借金を棒引きさせて債務整理をしたと記されていますが、森山支配人は「それは違います。藩内の商人などに対しては帳消しさせたこともあったようですが、豪商に対する借財については信頼関係から長期返済にしてもらい、74年後の孫の代で49万両を全額返済しました」と話します。研究が進み、「かつては“暴君”と称されることもあった治郷公ですが、実は名君であったのではと、近年は評価が変わってきています」。

01 松江のシンボルでもある国宝松江城。登閣することもできる。
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02 支配人の森山俊男さん。
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03 左から、ガイドの常松芳江さんと三谷テル子さん、森山俊男支配人。
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公の時代、宍道湖は毎年のように氾濫していました。その害を防ぐため、溢れた水が日本海に流れ込むよう小さな人口河川をいくつもつくります。32歳の時にはその河川を広げて船が航行できるような水路としました。
治水を行って稲作を安定させる一方、ロウソクの原料となるハゼの実や綿花の栽培、製品化を奨励。48歳の時には当時も非常に貴重で、栽培が難しいとされてきた薬用人参(高麗人参)の量産にも成功します。「松江藩と会津藩だけには幕府の許可があったため、長崎から中国にも輸出し、莫大な利益を得ています。栽培は今も八束町の大根島で続けられています」と、ガイドを務める三谷テル子さん。

治郷公は、40年に及ぶ統治の間に19回もの参勤交代を行っています。300人以上の藩士が23泊24日かけて江戸に向かう旅費の片道分は今の金額にしてなんと3~4千万両(3~4億円)。「薬用人参1回の取引でその片道分が捻出できたそうです」と、同じくガイドを務める常松芳江さんが教えてくれました。

もう一つの産業の柱、古代から続けられてきた、たたら製鉄で取り出した玉鋼(たまはがね)の流通にも、治郷公らしさが垣間見えると森山支配人は話します。「木綿をシート状に打たせ、玉鋼を運ぶ際にはクッション代わりに敷かせました。玉鋼と木綿、二つの特産品が一度に運べるうえ、箱の中でゴロゴロ動かない。まさに一石二鳥でしょう?」。奥出雲を和鉄の産地として知らしめた鉄師御三家の一つで、「瑞風」の立ち寄り観光地にもなっている「菅谷たたら山内」を創建した田部家の屋号が「綿屋」なのはその名残だそうです。

藩政を立て直しながらも
茶の湯に傾倒

治郷公のもう一つの顔は茶人です。松江に茶の文化を根付かせた治郷公は、隠居後の法号である「不昧」に因み、「不昧さん」と呼び親しまれています。「若い頃はやんちゃだったため、落ち着かせる目的で10代から千利休の流れをくむ石州流のお茶を習わされたそうです」と森山支配人。藩主になってから本格的に茶の道を究め、利休の侘茶を理想とした「不昧流」と呼ばれる独自の境地を開きます。道具類の収集も行いましたが、「決して金に飽かせて買い漁っていたわけではなく、さまざまな事情で手放される道具類をいわば一山いくらという形で、格安に譲り受けていたようです」。三谷さんは「名物道具は日本の宝であると不昧さんは考えておられたのだと思います。優れた美術品を散逸させてはならないの一心だったのではないでしょうか。集めた茶碗や墨蹟のうち、国宝に指定されたものが12点、重要文化財が15点。その鑑識眼が非常に優れていたことがわかります」と熱を込めて話します。

04 茶室周りに立つ透塀は、西の左甚五郎とも呼ばれる名工・小林如泥(じょでい)作。
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05 茶室周りに立つ透塀は、西の左甚五郎とも呼ばれる名工・小林如泥(じょでい)作。
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そんな不昧公好みの茶室「明々庵」は、安永8年(1779)に、城の濠をはさんだ東側に建つ家老屋敷である有澤邸内に建てられました。廃藩置県と共に家老屋敷も取り壊されたため、500メートル離れた家臣の渡部家に移されましたが、個人での茶室管理は難しく、荒れてしまいます。その惨状を知った、東京海洋大学の前身である水産講習所の初代所長、松江藩出身の松原新之助が買い取り、東京・原宿の自宅に移築します。その松原氏は、大正4年(1915)に四谷の松平伯邸に明々庵を献上。そして昭和3年(1928)、不昧流の振興に尽力していた「一々会」が中心となり、有澤山荘が建つ萩の台に里帰りしたものの、忍び寄る戦火の気配で倒壊寸前にまでなってしまいます。戦後、再び一々会の尽力で、東京オリンピックの翌々年、没後150年記念事業の一環として現在の地に移築されました。

06 森山支配人は「明々庵のアプローチは京都の銀閣寺に似ていると言われる方もおられます」と話す。
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07 森山支配人は「明々庵のアプローチは京都の銀閣寺に似ていると言われる方もおられます」と話す。
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08 森山支配人は「明々庵のアプローチは京都の銀閣寺に似ていると言われる方もおられます」と話す。
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5度に及ぶ、まさに流転の旅を経験した明々庵は、厚い茅葺の入母屋造り。不昧公の直筆に胡粉を盛った扁額が掲げられています。利休が理想とした2畳台目の小間で、定石では設けられる客畳と手前畳の間の中柱がありません。また、小間の場合、炉は客畳に切るのが定石ですが、明々庵では4分の3程度の大きさしかない台目に切っています。限られた空間を効率よく使うため、亭主の背後には引き戸を設け、水屋口から出し入れできる洞庫(どうこ)が工夫されています。床の間も通常の半分ぐらいの面積に納め、裏側には道具入れを設けるなどの機能性を追求する一方、亭主が出入りする茶道口には「はかまごし」と名付けた独自の意匠を施すなど、定石にとらわれない用の美が追究されています。「度重なる移築のため、創建当時を伝える部材は多くはありませんが、不昧公がつくられた精密な指図書があるため、寸分たがわず再建できるのです」、森山支配人は胸を張りました。

09 明々庵全景。雪や雨が多い松江では、厚い茅葺屋根が理にかなっている。
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10 明々庵全景。雪や雨が多い松江では、厚い茅葺屋根が理にかなっている。
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11 明々庵全景。雪や雨が多い松江では、厚い茅葺屋根が理にかなっている。
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かつて松江藩では、国内全生産量の4割に当たる和鉄を製造していました。その大部分を担っていたのが、「瑞風」の立ち寄り観光先である田部(たなべ)家です。代々の当主が継ぐ長右衛門は10代目が藩主から賜った名跡で、今は25代目の当主が名乗っています。「乗客の皆様は、たたら場や田部邸を見学してから明々庵に来られます。日本のものづくりの原点とも言うべき場や、それを支えた田部家の功績を目の当たりにされた直後だからこそ、23代目の長右衛門さんが一々会の会長として、不昧公を象徴する存在である明々庵を守ってくださったとお話をさせていただくと心に響くようです」。三谷さんは目を細めました。

12 明々庵では手前畳に炉が切られている。茶道口の「はかまごし」は、袴姿を背中側から見た形を意匠化。
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13 亭主の左横側に作られた引き戸を洞庫側から見る。
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「瑞宝」の銘を持つ
特別な和菓子

明々庵を臨む座敷では薄茶の接待が行われます。「不昧公が好まれた粋な、しかもいい塩梅のお菓子が出せないかと工夫しました」と話す森山支配人が考案し、銘をつけた和菓子「瑞宝(ずいほう)」は、「瑞風」にご乗車のお客様だけが味わえる特別な甘露です。「瑞風」の車両をイメージして、砂糖生地に挟まれているのは透明感のある琥珀羹(こはくかん)。手で割ると、琥珀羹がガラスのようにクリアなことがよくわかります。生地の間には、京都の大徳寺に伝わる味噌のような味わいの保存食である大徳寺納豆。掛け紙の書は大徳寺の塔頭である瑞峯院(ずいほういん)の前住職・前田昌道(しょうどう)が書かれたものです。

14 「瑞風」の乗客だけが味わえる特別銘菓「瑞宝」は松江屈指の菓子司「三英堂」謹製。幾度もの試作を繰り返してつくりあげられた。
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15 「瑞風」の乗客だけが味わえる特別銘菓「瑞宝」は松江屈指の菓子司「三英堂」謹製。幾度もの試作を繰り返してつくりあげられた。
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常松さんから「実は冷やしても美味しいので、暑い季節は冷菓として楽しんでいただくことも考えてい ます。購入される乗客の方達にはアルコールにも合うとお勧めしているんです」という意外な情報を聞くうち、三谷さんがあるエピソードを明かし始めました。「男性のお客様が、 “宝”に見立てて琥珀羹の間に忍ばせた大徳寺納豆が人に見えるとおっしゃったのです。私たち一同はまさに膝を打つ思い。瑞宝の宝とは、お客様だったのだ!と思いを新たにしました」。敬愛する不昧公の存在を身近に感じながら日々を過ごす松江の人々。「不昧さんのことを知っていただける、そのことが私たちは嬉しくてたまらないのです」。瞳を輝かせながら声を揃えました。

16 薄茶の接待は明々庵が一望できる座敷で行われる。
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17 正客は「伊羅保写」、次客は「俵茶碗(四角い枡形の高台を持つ珍しい茶碗)」で
		喫することができる。
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18 掛け軸は京都南禅寺の柴山全慶元管長によるもの。
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「瑞風」によせて

明々庵支配人 森山俊男(写真中央)松江の主要産業は観光です。そんな街に「瑞風」が立ち寄り、不昧公が根付かせた茶の文化にふれていただけることを大変喜ばしく思っています。また、立ち寄り先になったことをきっかけに、松江について興味を抱いていただいたり、実際足を運んでくださる方も増えています。その点も大いなる歓迎を持って受け止めています。この素晴らしい機会を大切に、今後もより魅力的な存在になれるよう、おもてなしの気持ちにも磨きをかけていきたいと一同思っています。

明々庵支配人 森山俊男(写真中央)

明々庵支配人 森山俊男(写真中央)

Information

島根県指定文化財 明々庵

住所
〒690-0888 島根県松江市北堀町278
Tel
0852-21-9863

4/1〜9/30 8:30~18:30(受付18:10まで)
10/1〜3/31 8:30~17:00(受付16:40まで)
年中無休

アクセス
山陰本線にて松江駅下車
車で10分
市営バス(大学・川津行) 塩見縄手下車徒歩4分
一畑バス(恵曇・加賀方面行) 北堀町下車徒歩2分
レイクラインバス 塩見縄手下車 徒歩5分
ホームページ
http://www.meimeian.jp/index.html

中田工芸株式会社

*インタビューさせていただいた方の役職等は公開時のものになります