四季折々の美しい風景、 沿線の歴史・文化を象徴する
工芸や文化財、地元の恵みを生かした美食...。
西日本を巡り、人との出会いを通じて、
「瑞風」の旅を輝かせる “美” を発見します。
京都
京都の文化にふれる Vol.3
~京都の文化にゆかりのある方が語る~
“美しい日本をホテルが走る”をコンセプトに運行を開始した
TWILIGHT EXPRESS 瑞風。
「瑞風」の発着地である京都、
その京都の文化にゆかりのある方々が感じる
文化都市京都の魅力、「瑞風」に寄せる思いをご紹介します。
受け継いだのは技術ではなく、
苛烈な魂
陶芸・美術作家 近藤 高弘 さん
高祖父である近藤正慎は、幼くして清水寺に預けられました。後に尊皇攘夷派の僧として名を馳せた月照上人は、兄弟子にあたります。驚くほどの美男子だったらしく、京小町と呼ばれた茶屋の娘と恋に落ちます。月照上人に「仏の道を取るか、恋を取るか」と問われても、あっさり女性をとって還俗してしまう、かなり一途な人でした。ところがその恋女房が1~2年で病死。遍路をした後、京都に戻り、清水寺の貫主になっていた月照上人の元へ。秘書のような役割をいただいて、近くで仕えるようになりました。
月照上人は、京都の公家とのネットワークを広げていたので、そこに西郷隆盛が月照に近づき、徳川幕府に目をつけられました。やがて安政の大獄が始まったため、西郷隆盛と共に薩摩藩に逃れます。その手はずを整えたのが近藤正慎だったため捕らえられ、行き先を厳しく問われますが頑として口を割らず、獄中で舌を噛み切って自害しました。42歳でした。けれどもその甲斐なく、薩摩藩は月照上人を厄介者扱いして国入りを拒否され、2人は錦江湾に入水。西郷隆盛は命を取り留めますが、上人は亡くなります。
文字通り、命を懸ける仕事
祖父の近藤悠三は、ゼロから陶芸作家の地位を確立し、染付の大家として人間国宝にまでなった人です。若き日に「焼物以外の仕事では飯は食わない」と決め、他のことをするぐらいなら「ろくろ場で座して死ぬ」と言っていたそうです。そんな祖父に師事していた父は、悠三に影響を受けながら自己の染付の仕事を模索していました。父、祖父とも、私に家業を継げと言ったことは一度もありませんでした。
卓球一筋だった私は高校、大学の学生チャンピオンになり、日本代表にも度々選ばれました。ところが、実業団で選手生活を送っていた頃、美術大学の教授で陶芸家としても活躍していた叔父が自死します。幼い頃によく遊んでくれた叔父が、命を懸けるほどに苦悩した陶芸とは何だろう。その死がきっかけとなり、真剣に考えるようになりました。いつまでも卓球選手が続けられるわけではないこともわかっていたので、26歳で引退。京都府の陶工職業訓練校に入学しました。
スタートは遅めでしたが、多くの文化の担い手たちが鎬を削る、緊張感のある京都という街に鍛えていただきました。イギリスのエディンバラ芸術大学院への留学も意義深いものでした。現在は、独自に編み出した銀滴彩やガラスを組み合わせたオブジェ、坐像といった作品を発表する陶芸家・美術家として、コンテンポラリークレイアートを制作し、国際的に活動しています。また、近年は、改めて焼きモノの本質を問う作業も行なっています。
私たちは3代にわたる陶芸家ではありますが、決して世襲したわけではありません。個人作家が3代続いただけ。よく言われることですが、続けるためには、変わり続けていかねばなりません。伝統に甘んじることなく、常に革新を求める。私は「瑞風」にも同じ心意気を感じています。
近藤家の足跡
京都のあちこちに、高祖父や祖父が残した足跡がありますから、「瑞風」が縁で京都に来られた際には、ぜひ足を運んでいただけたらと思います。まずは、京都の東山に建つ、幕末から明治維新の歴史を専門的に研究する「霊山歴史館」。今年の大河ドラマの主人公が西郷隆盛ということもあって特別展などが開催されており、正慎血染めの巾着や愛用の文箱などが展示されています。
正慎亡き後、残された家族の生活を慮り、清水寺は境内に茶店を開くことを許してくれました。その屋号は少しシュールですが「舌切茶屋」。現在は私のハトコが営んでいます。日本で初めてレモネードを出した店でもあります。今は提供していないようですが、みなさんの声があれば復活してくれるかもしれません。
2017年10月にリニューアルオープンした「近藤悠三記念館」は、観光客でにぎわう「茶わん坂」に建っています。実は「茶わん坂」は祖父の命名。ちなみにその茶わん坂で、毎年11月1日から11日にかけて開催される「わん碗one」イベントは、わたしが、名付けさせていただきました。記念館の表には、直径1.26メートルの制作当時磁噐では世界最大の大皿を展示。通りからもご覧いただけます。
近藤 高弘
Takahiro KONDO
陶芸・美術作家
プロフィール
1958年京都・清水に生まれる。祖父は磁器染付の人間国宝・近藤悠三、父も陶芸家の近藤濶という環境に育つ。高校、大学と卓球に打ち込み、全日本学生チャンピオンに。26歳で陶芸の道に進む決意をし、京都府立陶工職業訓練校で学ぶ。2002年に文化庁派遣芸術家在外研修員として渡英。銀滴彩のオリジナル技法(特許取得)やガラスとの融合など陶芸の概念にとらわれない、立体作品を数多く制作し、国内外の美術館で多くの展覧会が開催されている。2009年「京の冬の旅」ポスターモデル。
時を超えて、庭を作るということ
植治 次期十二代 小川 勝章 さん
私どもの屋号は「植治」と申します。武士であった初代・小川治兵衞が庭園の道を志したのは江戸時代中期のこと。6代目の長女と結婚した7代目は、平安神宮や円山公園の作庭、御苑や各離宮のお庭の復元も手がけました。以来、12代目を継ぐ予定である私まで、代々、数多くのお庭を作らせていただいております。
250年以上も続く家に生まれた私は、幼い頃から多くの時をお庭で過ごしてきました。幼稚園や小学校の頃はお邪魔ばかりしていたと思いますが、学生時代に仕事を始めて以降、つい数年前までは、お人やお庭からご教示頂くべく、黒子に徹していました。今では笑い話ですが、私はホウキと言えば、禅寺で見かける大きな竹のホウキだと思っていました。あれはどこの家にもあるものなんだと。ところが、友達の話を聞くとどうも違う。我が家は特殊なのだとようやくその時に気づきました。
時々、「お庭」と呼ぶのはなぜかと聞かれます。なんでも擬人化するクセがあることに加え、気持ち的には「お庭様」と言いたいのですが、それは行き過ぎかなとも思うので…。お庭が身近にある環境で育ったものですから、ごくごく自然な成り行きで私もお庭を作るようになりました。
極めてプライベートな空間
もともとお庭は、しかるべき方にしかるべき位置から見てもらうもの。つまり、誰か特定の一人のために作られるものでした。たいがいは床の間の辺りから見るように作られるため、正面というか見るべきポイントがあります。植治は私邸のお庭も多く手掛けます。いずれにしてもお庭は私的な存在ですから、作り手は持ち主の人となりや思考、求められていることなどを汲み取らねばなりません。その方自身が気づいておられない深層心理も時には慮り、建物との調和を図りつつかたちにしていく。私どもが続けているのはそのような仕事です。
お庭は人より長生きする場合も多くあります。完成した瞬間が赤子だとすると、青年期、壮年期へと成長していきます。人間と同じで、どんな時間の過ごし方をしたかがお庭にも表れます。「人となり」ならぬ「庭となり」です。月日と共に木が高く成長し、建物とのバランスが変わるかもしれない。持ち主が変わり、新たな木が植えられるかもしれません。それは違うからと抜いてしまうこともできますが、そのまま生かすケースもあるでしょう。先人の思いを受け取るのが我々の仕事ですから、答えは一つではありません。
お庭は人工物。今は事情が違いますが、かつては山から木を抜き、石を運んで作りました。いわば自然を破壊する行為です。そうまでしても、人は自然とつながりたかった。私たちはその点も理解しながら、自然と人の連絡係、橋渡しを努めています。
桜と紅葉の季節だけでなく
「瑞風」ご乗車の際は、ぜひ京都のお庭もお訪ねいただきたいと思います。ただ、そのタイミングが桜咲く頃、また紅葉の季節でないとしても残念に思わないでください。桜のお花は見る者の心をとらえて離さないでしょうが、それは1年のうちの2週間ほどのこと。紅葉も同じです。そうではない時期のお庭が実は基本の姿です。冬のお庭も良いものです。花や葉が落ちた、いわば「素顔」を見ることができます。寒さでこわばったかのような木々が、太陽の光を受けてホッと緩む瞬間が見られるのは早朝。そんな表情の移り変わりは胸に迫ります。
京都でぜひお気に入りのお庭を見つけ、暑い日寒い日、晴れた日雨の日、折にふれて足を運んでいただきたいと思います。太陽が雲に隠れた瞬間、一陣の風がそよいだ瞬間、お庭の顔つきは刻一刻と変わります。まして、今年のお庭と来年のお庭は全くの別物。「瑞風」の車窓から見られる、沿線の景色も同じだと思います。二度とは出合えない、その時だけの光景を数多く記憶に刻みつけ、旅の醍醐味としていただきたいと思います。
小川 勝章
Katsuaki OGAWA
植治 次期十二代
プロフィール
初代小川治兵衞が武士より転身し、庭園の道を志してから250余年。幼少期の多くを歴代の手掛けた庭園にて過ごす。高校入学時より十一代小川治兵衞に師事し、思春期の多くを庭園掃除にて過ごす。家業に従事しつつ、立命館大学法学部を卒業後、植治における作庭に専念する。新たな作庭に加え、歴代の手掛けた庭園においても、作庭・修景・維持を続ける。特に近年は七代目が最も精魂を注いだとある庭園において、次代へと繋がる取り組みを重ねている。2018年「京の冬の旅」ポスターモデル。
ご紹介した「近藤 高弘さん」「小川 勝章さん」は
「瑞風」の旅の始まりにチェックインと出発前のおもてなしを提供する
「瑞風ラウンジ京都」でご高話をいただいております。