「瑞風」の美を訪ねて

DISCOVER THE BEAUTY OF MIZUKAZE

四季折々の美しい風景、 沿線の歴史・文化を象徴する
工芸や文化財、地元の恵みを生かした美食...。
西日本を巡り、人との出会いを通じて、
「瑞風」の旅を輝かせる “美” を発見します。

京都の文化にふれる Vol.4〜京都の文化にゆかりのある方が語る〜

ISSUE 14

京都

京都

京都の文化にふれる Vol.4
~京都の文化にゆかりのある方が語る~

“美しい日本をホテルが走る”をコンセプトに運行を開始した
TWILIGHT EXPRESS 瑞風。
「瑞風」の発着地である京都、
その京都の文化にゆかりのある方々が感じる
文化都市京都の魅力、「瑞風」に寄せる思いをご紹介します。

いけばなは、暮らしそのもの
華道桑原専慶流副家元 料理研究家 桑原 櫻子 さん

私どもの稽古場と住まいは、祇園祭で街を巡行する「浄妙山」(じょうみょうやま)の町内にあります。門は通りに面していますが、玄関までは約30メートルの露地が続いています。小さい頃から続けている私の日課は、その石畳に水を打つことです。途中には水溜が3箇所もあるのですが、花を浮かべて休ませると元気を取り戻し、再び目を楽しませてくれます。バケツに水を汲んでの往復は大変ですが、きれいになると気持ちがいいですし、お客様が喜んでくださると励みにもなります。

13歳の時、私は両親の家を離れ、祖父母と暮らすことを決めました。実を明かすと、祖父母の家は広いから自分の部屋が持てるという魅力的な誘いに乗ってしまったのですが…。祖父が花と共に暮らしながら、家をていねいに維持し、古い物と新しい物を調和させる様子。祖母が歳時に合わせて道具や器の出し入れをしたり、旬の素材を使って滋味深い食事を仕立てる様子を間近で眺められたから、大切なことを体で覚えることもできました。もっとも今だから感謝するのであって、思春期の頃は「なんでうちのご飯はヒジキや野菜の炊いたんばっかりなんだろう」と思っていました。

次期家元として日々精進する甥の健一郎も中学生の時からここで共に暮らしています。幼い頃の私と違って、彼は道具の出し入れや行事食が大好きで、手伝いにも積極的。古い物を大切に、修理修繕しながら使っていくことの意味を肌で理解してくれているようです。

花道桑原専慶流副家元 料理研究家 桑原 櫻子
花道桑原専慶流副家元 料理研究家 桑原 櫻子

もてなしの街、京都

よく京都のどんなところが好きかと聞かれますが、湯葉屋さんとか菓子屋さんとか豆腐屋さんとか、他の街ではどんどん姿を消していっている昔ながらのお店が頑張っておられて、住む人たちに愛されている点ではないかと答えています。お客さんの喜ぶ顔が見たいから店を頑固に守り続ける。それが京都人の根底に流れるもてなしの心ではないでしょうか。

いけばなも、大切なお客様をもてなす要素の一つです。玄関の掛け花や床の間の立花は、心地よい雰囲気を感じてほしいと願ってのこと。「瑞風」車内に生けさせていただく花も同じです。花がある空間のさわやかさ、明るさを楽しんでいただければ幸いです。

次の世代に向けて

ひと昔前と違って、教養としてお茶やお花や料理を習う方は少なくなりましたが、逆に自分自身の興味で始められる方ばかりなので、みなさん熱心です。外国人の方も稽古に励んでいますし、男性も増えています。

一方で、いけばなに何の興味もないという方も世の中にはおられます。そのせいか、学校教育の場で私どもの精神を話してほしいと依頼されることも多いのですが、生徒さんはもちろん、その親御さんの世代も、お花のことだけでなく、しきたりや行事に無頓着ということも少なくありません。そんな機会には我が家の写真をお見せします。季節の花、道具や器が飾られた空間を見ると、多くが「こういう暮らしがしてみたい」とおっしゃいます。心の中にはそんな気持ちが隠れていることを知るとうれしくなりますね。

桑原 櫻子
Sakurako KUWAHARA

花道桑原専慶流副家元 料理研究家

花道桑原専慶流副家元 料理研究家

プロフィール

花道桑原専慶流副家元 料理研究家 桑原 櫻子江戸時代前期より続くいけばなの家に生まれる。祖父の十三世専溪に幼いころよりいけばなの指導を受け、18才より教授活動をはじめる。21才で副家元を襲名。季節の色彩を取り入れた美しく軽やかな花を得意とする。夫の桑原仙溪と共に花を教え海外でもいけばなの魅力を披露する。料理研究家としても活動しメディアなどで京都の家庭料理を紹介、料理サロンも主宰する。2013年「京の冬の旅」ポスターモデル。

兄弟で支える、洛中の酒蔵
佐々木酒造 四代目社長 佐々木 晃 さん

三人兄弟の末っ子として生まれた私は、まさか自分が家業を継ぐとは思ってもいませんでした。ところが、長兄は「後々、残るものを作りたい」と建築を専攻してシンクタンクに就職。その後、独立して経営コンサルタントになりました。そこで、次兄が神戸大学の農学部でバイオテクノロジーや酒米の研究をしていたのですが、在学中に始めた芝居の世界にのめり込み、俳優になると宣言。母は泣く、父は激怒…。仕方なく、大学は中国文学科に在籍した私が「お兄ちゃんが帰って来るまで、繋ぎでやっとくわ」くらいの気持ちで入社しました。にもかかわらず、次兄は俳優としてやっていけているため、今に至るというわけです。

佐々木酒造 四代目社長 佐々木 晃
佐々木酒造 四代目社長 佐々木 晃

いい水の賜物

当家の蔵は、かつて豊臣秀吉が政庁兼邸宅として築いた聚楽第(じゅらくだい)の南端に建っています。茶道が趣味だった秀吉がこの地を選んだ理由の一つはいい水が出たから。2020年の大河ドラマで次兄が秀吉を演じることになったのも何かの縁かもしれません。関西大学楠見教授の研究によると、三方を山に囲まれた京都盆地の下には巨大な空間があり、長い時間をかけて三方の山から流れ込んだ水が琵琶湖の水量の8割ぐらい溜まっている、世界的にも珍しい地形だそうです。

いい水の出る土地にはいい酒あり。室町時代の洛中周辺には300軒もの酒蔵があり、日本最大級の酒処でしたが、年々減り続け、今では京都の酒処といえば伏見になりました。伏見は規模の大きな酒蔵が多いのに比べ、洛中は家族で営む小さな酒蔵がほとんどだったため、時代の波に抗えなかったのでしょう。

入社当初は私自身も不安でしたが、前職での営業経験を活かして全国を巡り、販路を拡大。規模の小ささを逆手に取って、お客様の声を聞きながら旨い酒を造ることに集中しています。長兄は経営的なアドバイスをしてくれます。次兄は広報係という位置づけ。テレビなどでうちのことを話してくれると、検索数やネットショップの売れ行きが上がることもあります。2人とも時間を見つけては京都に帰ってきます。酒造り一筋、厳しかった父も天国で喜んでくれているのではないでしょうか。

旨い料理に合う旨い酒を

「瑞風ラウンジ京都」内で好評をいただいている代表銘柄「聚楽第(じゅらくだい)」の「大吟醸エクストラプレミアム」は、精米歩合40%の山田錦と、当家の地下約15メートルからくみ上げる名水「銀明水」で仕込んだ自慢の酒です。果実を思わせるフルーティーな香りと旨味の余韻が特徴で、全国新酒鑑評会の金賞を何度も受賞しています。不思議なもので評価をいただけると、今では酒造りが楽しいと思えるようになりました。

以前に比べると、食事と一緒に楽しむなら日本酒がいいとおっしゃる方が増えました。ただ、外では飲むけど、家では飲まないという傾向は否めません。イベントを開催すると若い方たちにも興味を持っていただけるので、京都にこんな旨い日本酒があったんだと知ってもらえる機会を増やしていきたい。食の都でもある京都にふさわしい日本酒を今後も造り続けていきます。

佐々木 晃
Akira SASAKI

佐々木酒造 四代目社長

佐々木酒造 四代目社長 佐々木 晃

プロフィール

佐々木酒造 四代目社長 佐々木 晃佛教大学文学部中国文学科を卒業後、産業機械販売会社で働き、25歳のとき、洛中で120年以上続く「佐々木酒造」に入社、40歳で代表取締役社長に就任。佐々木酒造は人気俳優の佐々木蔵之介の実家としても有名で、兄の蔵之介が継ぐはずだったという酒蔵を継ぐ。
千利休が茶の湯で使ったといわれる良質な地下水を使用し、清酒「聚楽第」などを醸造するほか、ノンアルコール飲料も製造する等、販路拡大にも努めている。

土と水に恵まれて、窯の火を守る
朝日焼ブランドマネージャー 松林 俊幸 さん

約400年前。戦国の世が終わりを告げて江戸時代になる頃、焼きものに適した土が採れ、やわらかな水が湧く朝日山の麓に初代は窯を築きました。その功績が認められ、茶の産地として知られ始めた宇治との関わりが深いことから、徳川将軍家の茶道指南役でもあった茶人・小堀遠州から「朝日」の窯名を授かりました。朝日焼が「遠州七窯」の一つとされる所以です。宇治茶と茶の湯が発展したタイミングとも重なり、三世にかけて朝日焼は一時代を築きます。

四世から七世にかけては、文化の中心が京都から江戸に移ったこともあり、厳しい時代を過ごします。瓦を焼いたり、宇治川の渡しを営むなどの副業をして代を繋いだと聞いています。八世の折、突如として煎茶趣味が流行します。それに合わせて、急須などの煎茶器を制作。九世の代にかけては煎茶器の生産が最盛期になり、半年間で急須3500点を納めたとか、一年で850人の陶工を使ったとの記録も残っています。

明治の混乱期には、作陶を続けるのが難しいほど厳しい局面を迎えますが、東宮殿下(後の大正天皇)のご来賓を機に再興を果たします。太平洋戦争の戦火もくぐり抜けながら、2016年に十六世を襲名した兄で当代の豊斎まで、窯の火を絶やさず守り続けてきました。

朝日焼ブランドマネージャー 松林 俊幸
朝日焼ブランドマネージャー 松林 俊幸

宇治の土で、時代を読む

私どもは宇治の土にこだわり続けています。明治時代までは朝日山から。現在は対岸に位置する白川や折居山(おりいやま)から土を採っています。命であるこの土は、宇治川の急流が長い時間をかけて体積させた粘土層で、採掘してから50年以上寝かせて使用します。空気に触れさせ土を腐らせ、粘度を上げることが必要です。空気に当ててバクテリアなどを増やし、粘度質を活性化させる、私どもの表現では“風化させる”ことで、柔らかな表情が生まれる陶土になります。今、私どもが使っているのは先々代が掘り起こしてくれた土。当代が掘り出したものは孫の代でようやく使える土になるのです。

朝日焼は、陶器と磁器の両方を作陶する、珍しい窯元です。この背景には、お茶文化の中心地である宇治で、茶の湯と煎茶双方の「うつわ」を制作し歩んできた姿勢があります。400年前には抹茶、200年前には煎茶、200年周期で時々の人心をとらえたお茶文化の「うつわ」を制作してきました。これからも時代にフィットする焼きものを世に送り出したいと思っています。

京都の南の玄関口から

宇治が茶の一大産地になった理由をご存じですか。寒暖差があり、朝夕に川霧が発生する土地柄もですが、都に通じる南の玄関口で、常に侵入者の脅威にさらされてきた事情も関係しています。略奪されにくい作物、略奪されても技術がなければ商品にできない作物として、茶の栽培が奨励されたと伝わります。市内よりものんびりできると言われる宇治の意外な一面です。

日本茶が世界的なブームを呼んでいますが、急須自体は分岐点にあると思います。旨みや甘み、集中できる成分とリラックスできる成分を併せ持つ茶という植物の可能性を引き出し、コミュニケーションツールとなる飲みものに仕立てる朝日焼の急須は、理に適った「うつわ」です。使い込むほど良い色合いになる湯呑など、暮らしを豊かにする「うつわ」の良さを、「瑞風ラウンジ京都」で再認識していただければ望外の喜びです。 

松林 俊幸
Toshiyuki MATSUBAYASHI

朝日焼ブランドマネジャー

朝日焼ブランドマネジャー 松林 俊幸

プロフィール

朝日焼ブランドマネジャー 松林 俊幸1983年 朝日焼十五世豊斎の次男として生まれる。多摩美術大学ガラス工芸科卒。建築ガラスのデザイン会社のデザイナーを経て朝日焼に入社。2016年 兄の佑典が朝日焼十六世豊斎を襲名。2017年 店舗移転に伴い新店舗「朝日焼 shop & gallery」のプロジェクトを担当。現在は「朝日焼 shop & gallery」の運営と広報を担当し、各種イベントもディレクション。

ご紹介した「桑原 櫻子さん」「佐々木 晃さん」「松林 俊幸さん」は
「瑞風」の旅の始まりにチェックインと出発前のおもてなしを提供する
「瑞風ラウンジ京都」でご高話をいただいております。

*インタビューさせていただいた方の役職等は公開時のものになります